2011年4月1日に行った宮城県山元町(311)

By | 2011-04-10
宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

311の震災からおよそ20日後の2011年4月1日に地震と共に大きな津波被害を受けた宮城県山元町へ救援物資を持って行った際の写真と記録です。

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

4月1日、午前0時過ぎに救援物資を車に積み込み、宮城県山元町へ出かけました。午前8時には東北自動車道の宮城県白石ICを出ることができました。迷子になりながら東へ走ると津波に呑みこまれた田園が見えてきました。

ボランティア経験も何も無く、ほとんど勢いで飛び出したので被災者支援になったのかも分かりませんが、自分の記憶の補助として書き留めておきます。

避難所に何かを届けたい、報道と現実のギャップを自分の目で確かめたい、そんな気持はありましたが要の東北道が全線通行できるようになったのが数日前でした。

車に鉛筆と消しゴムと鉛筆削りとメモ帳などの私のお店で扱っている文房具と、スーパーでかき集めた塩、胡椒、七味、からし、わさびなどの調味料、お菓子を持って出発しました。

着いた所は山元町の坂元中学校。学校のすぐ横まで津波は来ていました。

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

避難所となっている学校のすぐそばまで、目を覆いたくなるような地震と津波の被害が手つかずで残っていました。車にはビデオカメラも搭載していましたが、撮ることすら申し訳なく思ってしまい、録画は途中で中止しました。

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

持参した物資は避難所の窓口に持っていきました。深々とお辞儀をされ、申し訳ない気持ちになりました。ジャージを着た高校生が応対してくれたのが印象に残っています。

以下に避難場所の人の要望など、覚えていることを少し書いておきます。

  • 避難場所では音の出る食べ物は敬遠されていて、羊羹とかチョコレート、しっとり系のクッキーが好まれているみたいです。
  • 圧倒的に不足しているのは女性用下着、女性用の24.5未満のサイズの靴だと言われました。
  • メディアなどでは支援される物資と今欲しい物資にギャップがあると報じられてますが、避難所単位で必要物資はかなり異なっている事も知りました。
  • 味なんて忘れてた、というおじさんはレトルトでいいからカレーが食べたいと言っていました。
一時避難所となった山元町立坂元中学校、校庭の道一つ挟んだところまで津波は到達していた(2011年4月1日撮影)

一時避難所となった山元町立坂元中学校(2011年4月1日撮影)

ボランティア志望の人に待機場所や食事その他は自前でというボランティアに対する要望が報道されてますが、避難所では、個人宅に避難している人達か増大しているので、その個人宅へ物資や情報を届けてくれるボランティアが沢山欲しいというのが本音としてあるみたいです。というか、それが現状でした。

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

各避難所の殆どにはかなりの自転車が提供されていますが、年齢的な事や地理的な高低差であまり利用されていないそうです。

国道のような道路はガレキも殆ど撤退されていますが、裏通りなどは歩くのもやっとの道路が殆どで、自転車ではパンクは常に覚悟していないと厳しいという印象を受けました。

避難所の人達は話し相手というか、話を聞いてくれる人を切望していると感じています。ドラム缶のたき火で暖をとるおじさんのところへ行くと、津波に呑み込まれたけど辛うじて助かった、という話をしてくれました。

一時避難所となった山元町立坂元中学校(2011年4月1日撮影)

一時避難所となった山元町立坂元中学校(2011年4月1日撮影)

ボクのような人にも、次々と震災津波被害の話をしにきた人が多数いました。話を聞いてあげるだけでもボランティアとして大事かもしれません。

自分がなぜ山元町を選んだり、坂元中学校を選んだか、具体的行動をどうやって決めたかというと、googleサイトで避難所マップが公開されていて、それを元にあまり報道されてなさそうな町村部を勘で絞り、新しい情報もググって下調べをしまして決定しました。

現地での救援活動、移動には車は必須である事も実感しました。

宮城県に限れば、国道六号線に沿った地域が何十kmに渡って甚大な津波被害を受けていましたので、何々市という行政範囲ではなくて町、村がより支援を欲していると思います。

テレビなどで取り上げられない地域は救援格差が深刻です、と現地での人は言っていました。

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

津波が襲った地域で必要なもの、僕が何度も聞いたのは安い中古車。市街地の道路はバスなんかとても通れない。延々と瓦礫が道路にはみ出して積み上げられています。現地の中古車屋さんには安い軽自動車の在庫はすでになく、高級車ばかりが売れ残っていました。

以上色々書きましたが、そもそもの行動の発端は日本赤十字からの義援金が個人に届くのは、一年くらい先だと聞いた事なのです。

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

宮城県山元町の津波被害(2011年4月1日撮影)

現地では今が大切な時、と自分で勝手な理解をして行動してしまいました。そして現金寄付は僕はしていません。でも行って良かったと思っています。またタイミングを見計らって行きたいと思っています。

宮城県山元町はいちごの生産地です。フキノトウがあちこちから芽をのぞかせ、梅が満開を迎えていました。

坂元中学校脇に咲いていたフキノトウ(2011年4月1日撮影)

坂元中学校脇に咲いていたフキノトウ(2011年4月1日撮影)

坂元中学校脇に咲いていた梅(2011年4月1日撮影)

坂元中学校脇に咲いていた梅(2011年4月1日撮影)